2010年11月25日木曜日

タヌキの出現&「カチカチ山」

 先日、近くの国道16号付近にタヌキが現れました。
 わたしの車が国道16号に出ようとするところ、前方が赤信号なので、車を止めました。
 と、その時、タヌキ2匹が車道に入り、私の車の前を通って、道路を横切りました。道路の向こう側には一軒の家があり、2匹のタヌキはその家の庭に入りこみました。
 タヌキを見たのは初めてです。しかも山の奥ではなく、平野の自動車道で。
 わたしはまず驚きました。食料を捜すために山を下りたのか、と思いました。
 運転しながらも、あの2匹のタヌキのことが頭から離れず、その後どうなったのか、とあれこれ思いを巡らせました。というのは、「カチカチ山」という日本昔話を思い出し、あの2匹のタヌキも、入り込んだ家の人にタヌキ汁にでもされたのか、と、杞憂したり。。。
 さらに思ったことがあります。「カチカチ山」の話はいま、日本昔話の中でもっとも残酷な話の一つとされているようです。しかし、その昔話をつくった人、または、従来当たり前に受容してきた人にとっては、残酷でも何でもなかったはずだったでしょう。
 最初に、その従来の受け止め方を変えたのが誰だかよく分かりませんが、わたしが知っている限り、太宰治作「お伽草子」の中の「カチカチ山」が明らかに従来の考え方と一線を画しているのです。
 太宰治の「カチカチ山」、それは私がもっとも好きな作品です。よりはっきり言いますと、私の知っている古今東西の作家の中で、太宰治が断然好きです。読んでいる多数の太宰治の作品の中で、「お伽草子」が断然好きです。「お伽草子」の中で、この「カチカチ山」が断然好きです。
 太宰治の「カチカチ山」のどこが好きかと言うと、たぶん、そのふざけた筆調と文句を言われる隙を与えない着眼点でしょう。ふざけた筆調を言えば、作品の中の一つ一つのシーンを思い出すと、今でも笑い出します。読んだときには、まるで落語や漫才を聞いているかのように、ずっとずっと腹を抱えて大笑いしていました。終戦当時、よくもこのような戯けたことを書いたなぁ、と思ったり、一方、太宰は本当に人を笑わす天才だなぁとも思ったり。。。
 太宰の戯けブリを言いだすと限がないので、彼の文句を言わせない着眼点を言いましょう。オリジナル「カチカチ山」は、人間の立場に立ち、人間の営みが動物に妨げられたら、その動物をどう裁くかは人間の勝手との考えに基づいているようです。なので、動物のタヌキは、タヌキ汁にされてもいいし、ウサギの残虐行為で川に沈められてもいいのです。
 それに比べ太宰の「カチカチ山」は、動物の立場に立っているのです。人間に対して、ちょっと誤ったことをしたら、殺されるなんて、タヌキにとって、人間って、あんまりにも残忍な生き物、また、タヌキ汁をしようとする婆さんを怪我を負わせたのが、身を守る正当防衛であり、罪でも何でもないこと。それなのに、人間の手助けであるウサギに騙され、挙句の果て、残虐にも泥の船に乗せられ、川に沈ませられたなんて、それが甚だ理不尽、と太宰が主張します。 
 今では、この動物なら食べてよい、あの動物は食べてはいけないという、勝手な考えをもつ人間が数多く存在しているようです。この考え方は、動物に憐みをもって環境にやさしそうに見えるのですが、実際は、とても陰険な人間中心的な考え方であり、人間のエゴの進化、または化けたエゴ、いわば新型インフルエンザのようなものと私には思われます。
 それに比べて、60年前の太宰はよくもそのような勝手な人間のエゴを放棄したなぁ、と、私は驚嘆して已まないのです。さすが太宰!まことに人間失格だ!

0 コメント: